iPadはiPhoneの代わりになるか

iPad不要論の中で、もう一つ目立つのは、iPhoneで充分ではないか、という論。

iPadとiPhoneのどちらが生活場面における汎用性が高いのか、といえば、これは当然iPhone。

iPhoneの小型、片手持ちというフォームファクタは、持ち運び方でも、操作する時でも、iPadに比べて有用性が高い。

つまりのところ、iPadは、iPhoneの代わりにはならない、というのが結論。

では、なぜiPhoneに加えて、iPadが発売されたのか。

iPhoneの利点である、小さい、というフォームファクタは、表示と操作を犠牲にしてなりたっているわけで、やりたい作業に対して、常に快適、というわけにはいかない。

iPhoneとiPadの関係は、紙で言えば、ポケットに入る手帳と、カバンに入れるノートの関係と同じ。

友達に連絡する、といった内容を大きなノートに書くのは、書くにも、見返すのも面倒。
逆に、会議の議事録などの長めの文章を小さい手帳に書いていたら、小さくて書きにくいし、ページをどんどん表示してしまう。

と、状況に合わせて、紙の大きさを使い分けているのが普通。

もっとも、実際にはいろいろなケースがあって、

書きにくくても、全部小さい手帳に記録する。
最初から大判の手帳にして、メモとノートを混在させる。
手帳は持ち歩くが、ノートは会社におきっぱなしで、持ち歩かない。
手帳は持たずに、ノートで全部済ませる。

など、バリエーションは多い。

このバリエーションは、本人の記録に対する性格、手帳やノートの必要性、移動の多い仕事かどうか、生活の仕事の繰り返しの要素、カバンに入る他の荷物の量などのパラメータによって決まる。

手帳、つまりiPhoneだけで完結する人にとっては、iPadは不要。
しかし、ノートも使う人にとって、手帳と併用できる大きなノート=iPadが必要だと考えるのは、それほど無理な話ではない。

iPadは、Wi-Fiのみのモデルと、3Gモデルを用意しているが、

Wi-Fiモデルは、自宅や会社など、固定的な場所でノートを使う人を想定しており、
3Gモデルは、ノートを持ち歩く人を想定している、

と思われる。

どんな場面でノートが必要とされるのかは、ユーザーの生活場面による。

もちろん、ここで手帳とノートという例は、記録する紙でのフォームファクタを表したものにすぎないので、文庫本と雑誌とか、他の例でも同じ。

さて、iPadは、iPhoneの代わりになるのかは、携帯性の点で、ない、ということだけど、逆はどうか。
iPhoneは、iPadの代わりになるか。

ノートと手帳の例で言えば、どちらの利用者が多いのか。
雑誌やハードカバーと、文庫や新書だと、どちらの利用者が多いのか。

紙の場合は、大きさによる使い分けが定着している。どちらかに寄せるという話しでもない。

iPadという新しい大き目の紙も実は同じで、大きな物を操作、表示するときに必要なデバイス。

つまり、これから、iPhoneでは代わりにならないiPadの用途が普及していくだろう。

具体的には、ノートサイズの紙が使われている場面が、徐々に置き換わっていくことになる。

結局、iPadは既存のデバイス内での使い分けや、置き換えの文脈ではなく、従来の紙の置き換えで考えられるデバイス。
ノートPCや、iPhoneの代わりになるかどうか、というのは、あまり本質的な話ではない、と思う。